ATerコラム

2025.08.11

その他

ITの進化と私(1)世界初のコンピュータ「エニアック」

1946に年世界初のコンピュータが生まれてから僅か約80年。当時からしてみると想像できないくらいコンピュータや情報技術(IT)が進化してきました。私とITとの関わりについてお話していきます。

 

私は大学時代、金属工学科の学生でした。大学4年のころオイルショックが起き、鉄鋼・自動車・造船業界は軒並み新卒の募集はゼロでした。たまたまコンピュータ会社からの募集が大学の学生課に来たので、採用試験と面接を受けたところ、運よく採用されました。

 

その会社が日本ユニバック株式会社でした。新入社員教育で世界初のコンピュータは米国のUNIVAC社が作ったということを知りました。(厳密にいうと世界初のコンピュータを作った2人がUNIVAC社を作った)

ということで、世界初のコンピュータ「エニアック(ENIAC)」についてお話します。

 

世界初の本格的な電子式デジタルコンピューターは、膨大な大きさと18,000本もの真空管で構成され、毎秒5,000回もの高速計算を可能にした機械でした。

現在の私のノートパソコンのCPUは2.1ギガヘルツ(2,100,000,000 ヘルツ)なので、エニアックの42万倍も速くなってます。

(当時のエニアックの写真 出展:U.S. Army Photo)

 

エニアック(ENIAC)は、1946年2月にペンシルベニア大学で公開され、世界で初めて実用化された電子式デジタルコンピューターです。

 

正式名称は「Electronic Numerical Integrator and Computer」の略で、第二次世界大戦中の1943年から軍事目的、主に大砲の弾道計算のために開発が進められました。

 

エニアックは、従来の計算機は人力やリレーなどを使った機械式とは一線を画する、プログラム内蔵式な大規模な電子計算機として、コンピューターの発展に大きく貢献しました。

 

エニアックの設計と製作は、物理学者のJohn Mauchly(モークリー)と電気技師のJ. Presper Eckert(エッカート)が中心となり、ペンシルベニア大学で行われました。

 

2人はコンピューターの父と称えられ、後にエニアックの技術をスペリーランド・ユニバック㈱に移して資金を得るなど、実業家としても活躍しました。

 

エニアックはソフトウェア的な発想の面でも注目を集めており、とくにモークリーは「プログラムする」(to program)という動詞を初めて使った人物であるとされています。

 

エニアックは、当時の主流であった10進法を採用していました。

 

 

現在のコンピューターでは2進法が主流ですが、エニアックでは1桁の10進数を格納するのに10ビットのリング・カウンタを使用し、1桁の記憶に36本の真空管を必要としていました。

 

エニアック全体では約18,000本もの真空管が使われていました。ただし真空管の寿命や耐久性が問題となり、エニアックの稼働率は極めて低かったそうです。

 

おまけに、約150KWもの膨大な電力を消費していました。

 

 

プログラムの誤作動を修正する際に、実際にリレー接点の間に虫(バグ)が挟まっていたことを発見したエピソードから、プログラムのエラーを「バグ」と呼ぶようになった由来ともいわれています。

 

アメリカ陸軍省が資金援助を行い、第二次世界大戦中の弾道計算を目的として開発された電子式デジタルコンピューターでした。そして、ループ処理、条件分岐、サブルーチン呼び出しなど、プログラミングが可能だったのは画期的でした。

 

エニアックのメモリ容量は20基のアキュムレータ(CPU内部のレジスタ)に20個の10桁の数値を記憶できるだけで、ハードウェア自体にプログラムを内蔵する能力はほとんどありませんでした。

 

そのため、パンチカードなどの外部デバイスからプログラムを取り込む方式を採用していました。

 

そういった作業をするために数名の女性プログラマーが膨大な数の真空管の交換や地道な作業に従事していました。

 

エニアックはループ処理、条件分岐、サブルーチンなどの機能を備えており、当時としては比較的複雑なプログラミングが可能でした。

 

ただし、そういった機能を内蔵する機構がなく、主に外部デバイスを用いてプログラミングをエアニックに取り込ませる必要があり、先ほどの女性プログラマーたちをはじめとして専門技術者による入念な準備が日々行われていました。

 

まずパンチカードなど外部デバイスを1週間ほどかけて作成。さらにその後、エアニック本体のケーブル配線やスイッチの切り替え、その後のバグチェックといったもろもろの作業でさらに数日かかったとされています。

 

エニアックは、非常に高性能で、毎秒約5,000回の演算処理が可能でした。当時の単一的なコンピュータ機構にくらべ約1000倍の速度を誇りました。

 

しかし、幅30m、高さ2.4m、奥行き0.9m、総重量27トンという大がかりな構造から、約150KWもの膨大な電力を消費していました。

 

おそろしい話ですが、150KWの電力は、東京23区の一般家庭約500世帯分の1ヶ月の電力使用量に相当します。発熱量も非常に大きく、エニアックに設置されている部屋では常に冷却ファンが回っていたそうです。しかし、フィラメントが耐熱量をよく上回り、電球の破損が一日に数回起こりました。これらの交換に一つ30分ほど修理時間を取られたと語られています。

 

 

エニアックの設計思想は、次世代のコンピューターEDVAC(Electronic Discrete Variable Automatic Computer)に受け継がれました。

 

EDVACは「悪魔の頭脳」と名高いJohn von Neumann(ジョン・フォン・ノイマン)によりプログラム内蔵方式が提唱され、次世代型コンピューターとして設計されました。

 

EDVACは前身のエニアックとは異なり、計算の基礎を10進数ではなく2進数で行う点が大きな特徴でした。2進数の採用により、メモリ容量の削減やプログラムの効率化が可能になりました。

 

この後、より小型で高速な計算能力を持つコンピューターが、EDSAC(ケンブリッジ大学開発のコンピュータ)、UNIVAC(比較的小型の一般オフィス向けコンピュータ)など、続々と登場していきます。

 

 

エニアックは、世界初の本格的な電子式デジタルコンピュータとして、その後のコンピューター発展の基礎を築きました。稼働時間は大きく限られているもののプログラミング機能を備えていたことが大きな特徴でした。

 

真空管の半永久的な交換作業や、プログラムの手作業での取り込みなど、現代から見れば大エニアックは1955年に運用を停止しました。

 

文責 高下畑 秀光

 

参考文献

(1)ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/ENIAC

(2)JITERA https://jitera.com/ja/insights/52831